40代からの方向転換3 

2020年8月28日

大学院受験と資格試験

とにかく閃いたことをやってみる

自分は何がしたいのか?

どんなことに惹かれるのか?

あるいは、ずっとしたかったことは何か?

好きなことをやれ!といった声は世の中に多い。また、そうした血沸き肉躍るものをやればいいといった指南本も数多くあるが、何がやりたいのかわからない人も多い。私もその一人だった。

とにかく、色々と頭に閃いたものをやってみる。そして違うなと思えば次に行ってみること。もしくは、違うなと思ってもしばらくやってみることも時には大事である。私も最初は40代になって、法律の勉強をしてみた。そこそこ熱心にやってみたが、通信大学で出会った心理学に惹かれ、そっちの勉強を始めてみた。法律も面白かったが、手続き法と呼ばれる科目が苦手だったので自分には合わないのではないかと考え始めた。そこで徐々に心理学にかじを取ってみた。社会心理学や知覚認知心理学はなるほどと思わせる概念が多く、正直楽しかった。しかし、心理統計や確立の授業はつまらなかったし、苦手であった。それでも法律学の時とはちがって、もう少しやってみようとおもった。

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自分をほめる

今も心理統計に対する苦手意識はあるが、徐々に理解してくるとこんな数学の理論が分かるなんてすごいと自分をほめてあげたくなる。とにかく他人でなく自分で自分をほめることが大事、これも人生をうまくこなしていく知恵である。自分が自分を一番よく知っているからだ。他人に褒められると確かにうれしいが、しかし、他人がどれほど自分のことを理解しているかとなると、疑わしい。しかも他人はいろいろな意図で褒めてくるのだから。自分が一番確かだ。

何かをやっているうちに方向性が見えてくる

さて話を戻すが、こうしてとりあえずいろいろとやってみること。若い時と違ってけっこう長続きしたりする。私けっこうすごいな!と思えたりするのだ。耳に蛸かもしれないが、やらないで後悔するよりもやった方がいい。

こうして、通信大学で、当初、司法試験を目指し法律を学んでいたが、いつの間にか心理学に惹かれていき、臨床心理士という心理学では最高峰の資格があることを大学の心理学の先生からの情報で知る。指定された大学院に行かなければならないことや、入試科目に英語があること、当時サイコバブルと言われた時代で、人気の大学院だと競争率20倍以上で平均しても10倍ぐらいであった。当時、英語が中学レベルであった私には到底無理だと思われた。

しかし無理でもいいからとりあえず、近づいてみることだ。そこで単語を短文で書いてあるカセット付きの英単語の参考書を一冊購入し、仕事で出かけるときも、合間を縫ってテープを聞いたり、音読したり、書きまくって覚えた。しかし次から次へと忘れていき、本当に自分は馬鹿だと思ったものである。しかし、それでもやり続ければ何とか実力はつくもので、あきらめさえしなければ、世の中何とかなるとその時改めて思ったりもした。そうして通信大学を出た後は、仕事をしながら、週1回の予備校にも行った。

1年目の受験は10大学院ぐらい受けたが、全滅であった。2年目では徐々に筆記試験で受かり始めたが、面接で落とされた。今思うと院受験は大学受験ほど平等ではなく、教授の取りたい人を取るという、かなり恣意的な入学試験らしいことに後から気づいた。院受験を考えている方は、その院がどのような人を取りたいのか事前に研究室訪問などを行っていくといいかもしれない。

2年目でようやく合格して、25歳も若い人たちと一緒に学ぶことになる。

枠組みに乗る

後は、院のカリキュラムに乗っていけば、きついが修了まで指導してくれる。これが心理的枠組みに乗るということだ。

この時大切なのが、以前に記したが、文脈をとらえなおすということ。つまり、この院はタフなこころの専門家を養成する訓練機関だということだ。これを常に意識すれば耐えられるはずだ。私はこころの中でここは“虎の穴”だと思うようにしていた。年がばれるが、子どものころ見たタイガーマスクが鍛えられた秘密の訓練機関だ。

このような工夫をしながらなんとか、修士論文も書き上げて院を修了することができた。

あとはその年の秋に実施される臨床心理士試験に合格すれば晴れて、カウンセラーだ。 大学院は修了年の2月はあまりやることないので、40過ぎの私は記憶力を心配して、10月の心理士試験の対策を始めた。

とにかく年も年だし、ゆっくりとやればいいなどと悠長なことは言ってられない。何としても今年中にという思いから、試験のための受験予備校の通信教育を申し込んだ。そして送られてくる教材を徹底的にやりこんだ。また、日程が合えば、試験対策のための講座も行った。そうして何とか初年で合格することができた。

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続く